今日の一句
出典:http://www.furusato-tanegashima.net/hi/ni/ki-kansyosaibai.html
唐芋を 食ってプーピー 屁をこいた
と言う事で今回は甘薯・唐芋・薩摩芋と言う事でまとめていきたいと思います。
甘薯(かんしょ)・唐芋(からいも)・薩摩芋(さつまいも)この3つの呼び方はすべて1つの食べ物を指しています。
これです。
名前の由来
始めに語源を説明しておきたいと思います。
私は関東の人間なので薩摩芋(さつまいも)と言う呼び方が一番聞きなれています。
甘薯(かんしょ)=薩摩芋の中国名
唐芋(からいも)=中国(唐の国)から伝わって来た芋
薩摩芋(さつまいも)=九州(薩摩の国)から伝わって来た芋
唐芋(からいも)の歴史
この神社は、宮古島に中国から芋を伝えたとされる人を神として祭ってある神社です。
宮古島には、「イモの主御嶽(ンーヌシュ・ウタキ)」という、イモの神様を祀(まつ)ったところがあります。
「ンーヌ」 は宮古島の言葉で “イモの” のこと、「シュ」 とは“主(ぬし)や神様” のこと、「ウタキ」 は “神社” のような場所のことです。
この時代、宮古島では天災などで作物がうまく育たず大変な食糧不足に悩まされていたそうです。
それに困った村の役人長真氏旨屋(ちょうしんうじ・しおく)が中国(唐の国)へ行き宮古島に持ち帰り食糧不足を救った。
この時の行いにより村の役人のトップになった長真氏旨屋(ちょうしんうじ・しおく)は、村役人のトップを示す名前・砂川親雲上旨屋(うるかぺーちん・しおく)・と改名する。
村人たちは長真氏旨屋(ちょうしんうじ・しおく)改め砂川親雲上旨屋(うるかぺーちん・しおく)にとても感謝して彼の死後、神として祭ることにした。
と言うのが日本での甘薯栽培の始まりであろうと思われる話になります。
この話の年代は、1597年頃の話になるとのことです。
甘薯(かんしょ)の歴史
第19代島主種子島久基(栖林公)は、元禄11年(1698年)琉球王から甘藷を手に入れています。
それを家臣に栽培方法の研究を命じ、家臣は下石寺の大瀬休左衛門に試作させ、試行錯誤が続く中、ついに栽培に成功します。
種子島での栽培は、琉球王国(現在のおきなわ)より種子島の島主に伝わり島主が家臣に栽培を命じてその家臣が農民の大瀬休左衛門に作るように指示したという話になります。
と言う事のようです。
この話の年代は、1698年頃の話と言う事です。
薩摩芋(さつまいも)の歴史
出典:https://kagoshimalove.com/tokko-shrine
本州の薩摩にこのさつまいもが上陸します。
薩摩の「前田利右衛門」という人物が1705年に琉球から持ち帰ったのがきっかけでした。
この、漁師?前田利右衛門も、琉球より唐芋の苗を持ってきて地元の食糧危機を救ったとされる人物とされています。
詳しいことは、あまり解っていないが彼もその時の功績をたたえられて今でも神として祭られています。
出典:http://shonan-fujisawa.jp/newpage4578.html
明治30年には,その功績をたたえて徳光神社が建立され,前田利右衛門は「玉蔓大御食持命(たまかずらおおみけもちのみこと)」として祭神となった。
この神社はからいも神社とも呼ばれているとのことです。
この話の年代は1705年と言う事のようです。
琉球国にはどのように伝わったのか?
琉球王国(今の沖縄)の野国総官(のぐに・そうかん)が中国から唐イモの鉢植えを持ち帰り、栽培を始めたのが1605年だったようです。
このほかにも、唐芋・甘薯ので遠来として伝わっている話があります。
元和元年(1615年)イギリス人のウィリアム・アダムスが長崎県平戸のイギリス商館長のリチャード・コックスに琉球からサツマイモを寄贈した記録があります。
それを平戸の千里ヶ浜付近にコックスが普及させたということです。この地域では今でも「リュウキュウイモ」と呼びます。
また、1615年頃、琉球からいきなり紀伊(和歌山)に伝わった記録があります。
この時代の商品の流通は色々だったみたいです。
このいくつかの話を私なりにまとめてみたいと思います、
中国(唐の国)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
宮古島 1597年
琉球王国(現在の沖縄) 1605年
琉球王国(現在の沖縄)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
長崎 1615年
和歌山 1615年
種子島 1698年
九州(薩摩の国) 1705年
私の調べられる範囲ではこんな感じでまとまりました。
歴史の事なので、だいたいこんな感じぐらいで思ってもらえたほうが良いと思います。
調べられる限りでは、中国から直接日本本土に上陸と言う事は無かったようです。
ということは。。。
長崎辺りだと、琉球芋(リュウキュウイモ)と呼ばれているようですので。。。。
薩摩芋(サツマイモ)として、唐芋・甘薯が広まったのは薩摩の国に伝わった1705年ぐらいから。。。
になるのでしょうか?
みなさんは、どう思います?
日本本土に薩摩芋(さつまいも)を広めた人は?
1711年 瀬戸内周辺 下見(あさみ)吉十郎 薩摩国
1715年 長崎県対馬 原田三郎右衛門 薩摩国
1716年 京都 島利兵 薩摩国?硫黄島?
1733年 島根県 井戸正明(イモ代官) 薩摩国 幕府経由
1734年 関東(下総国)蘭学者 青木昆陽(甘薯先生) 薩摩国 幕府経由
1700年代は薩摩の国より関東までの全域に色々な人と手によって広まっていったようです。
芋地蔵(下見(あさみ)吉十郎)
青木昆陽(甘薯先生)
享保の大飢饉(1733~34)の対策に苦慮していた八代将軍・徳川吉宗は、蘭学者・青木昆陽にサツマイモの試作栽培を行わせ、成功すれば全国に普及させるよう命じた。
試作地には、天領であった下総国馬加(まくわり)村(千葉市花見川区幕張町)、江戸小石川の養生園(小石川植物園)、上総国不動堂村(山武郡九十九里町)が選ばれたが、特に幕張では種芋17個から2石7斗6升の収穫を得ることができた。その後、天明、天保と続く大飢饉の時にもサツマイモによって多くの人が救われ、昆陽神社も建てられた。
サツマイモを広めた人たちは、崇(あが)められることが多いようです。
それだけこの時代の食糧問題の深刻さがうかがえます。
1800年に入ると、関東まで来た薩摩芋(さつまいも)を寒い気候の地方にまで広げていきます。
1825年 東北地方 川村幸八 (東北の昆陽)とよばれた。
天保の飢饉(1832~33年)以降 北陸地方
1856年 山形県庄内地方 奥山長左衛門・田中宮門 新潟から
1868年 岩手県南部 吉田信敬 関東から農業振興
1868年 滋賀県伊吹村弥高 松木五郎 尾張の旅の途中農業振興
明治時代(1868年)からは、農業振興として薩摩芋(さつまいも)は普及していきました。
江戸時代の日本は、藩が各地を統治していました。現在の都道府県の関係とは違い、ひとつひとつの藩は独立した国のような存在でした。
ですから、各藩同士の交流もあまりなく、サツマイモにしても、たとえば薩摩藩に伝わってもそれが、違う藩にもたらされることは、何かの理由がなければないのが普通です。
しかしながら、サツマイモは救荒作物として価値が高いことから、人伝えで日本全国に伝わっていったと考えられます。ですからそれらは、公式の記録としてはなく、言い伝えとして残り、知ることになります。
ここまで、調べてみても薩摩芋(さつまいも)の伝わり方は他にもいろいろな言い伝えがあるようです。
それだけ昔からとても必要にされていたことがわかりました。
サツマイモってすごい食べ物だったんですね。
薩摩芋(さつまいも)の栄養・効果
便秘解消
食物繊維には2種類あり、その2つは、水に溶けない不溶性食物繊維と、水に溶ける水溶性食物繊維のことです。
さつまいもは、その両方をもつので、表より、水溶性食物繊維も、不溶性食物繊維も含まれていることがわかります。
食物繊維は、糖尿病や肥満などの生活習慣病予防にも役立つ栄養素であることがわかっています。
さつまいもは、不溶性食物繊維も水溶性食物繊維も含まれているので、どちらもとることができる食べ物です。
抗酸化作用
ビタミンEは、脂質の酸化を防ぐ作用(抗酸化作用)を持っています。
抗酸化作用があることで、体内の細胞の酸化による老化やLDLコレステロールの酸化による動脈硬化の予防などに役立ち、老化と関係する疾患を防ぐ効果が期待されています。
美肌作り
ビタミンCは、抗酸化作用をもつだけでなく、コラーゲンの合成の過程に必要な栄養なので、皮膚や粘膜の健康に欠かせません。
ビタミンCが不足すると、美肌を作ることはできないのですそのほかにも、精神的なストレスはもちろん、睡眠不調や疲労、タバコなどのストレスを抱えている人は、より多くのビタミンCが消費されてしまうので、ストレス解消にも欠かせない栄養です。
葉酸は、私たちの体の細胞の合成に必要なDNAや核酸と呼ばれる細胞内の物質を作るのに欠かせない栄養素です。葉酸が欠乏すると、体は正常に保てなくなり、特に赤血球の細胞が上手く作れなくなる巨赤芽球性貧血という貧血になります。
妊娠初期の女性の場合は、退治の神経管閉鎖障害という神経系の発育不全を防ぐために葉酸の摂取が必要です。
高血圧予防
カリウムは、細胞内液に多く存在するミネラルです。
血圧の低下に欠かせない栄養です。
カリウムは、細胞内のナトリウムとバランスをとりながら、細胞内の水分を調整しています。
水分量だけでなく、血圧のコントロールもしています。
ナトリウム(食塩)は摂りすぎると高血圧の原因となりますが、ナトリウムはカリウムとバランスをとりながら排泄されるため、ナトリウムを排泄するためにもカリウムが必要なのです。
薩摩芋(さつまいも)の旬
薩摩芋(さつまいも)の収穫時期は、収穫する場所にもよりますが8月~10月にかけて行うようです。
ですが、この薩摩芋(さつまいも)は収穫直後は甘くないので1か月ほど寝かせてから出荷するようなのです。
そうなると、秋も終わり冬に入る時期がだいたい食べごろになるようです。
収穫した月+1か月が食べごろと言う事になるようです。
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と言う事で今回は、この辺で失礼いたします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。