https://yoshi2000000.hatenablog.jp/5c04cbf7ee21f.html

がむしゃらに 勝手気ままな575

なんとなく、気になった事を調べてみました。https://youtube.com/channel/UCeNTm2lyIRP4XihIfEd8fPA

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お酒

今日の一句

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近づけば 甘い香りで 酔わされて     口をつければ すべてを忘れ

忘れるほど飲んだら危ないね。。

 

日本酒

和酒。。。

誰が発明したのでしょうか。

凄いですよね❗

酒米をに、菌を振りかけて発酵させる。

それを絞って、飲む❗

本当に大発明だと思います。

色々な日本酒の飲み方

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  • 冷酒
  • 常温(ひや酒)
  • 燗酒
  • ロック

大体の人は、この4種類の飲み方で飲んでいると思います。

最近になるのですかね?氷結酒っていうのでしょうか。

凍らせて、シャーベットみたいにして楽しむ方法もあるみたいですね。私はまだ試した事は無いですが最近の夏の暑さは異常ですよね。

日本酒のカキ氷  一度試してみようと思っています。

私の飲み方としては、大体は、ひや(常温)で飲みます。冷やしてしまったり、暖めてしまうと味が変わってしまうので、おいしいお酒はまずは、ひや(常温)でいただきます。

同じお酒でも、で飲むのと冷酒で飲むのでは全然別のお酒に変わってしまうような気がします。

そんな感じがあるので、日本酒好きとしては基本の味として、ひや(常温)で味わうことにしています。

当然、にしたほうがおいしいお酒や冷酒で飲んだほうがおいしいお酒。

どんな飲み方しても、おいしいお酒と色々です。

特に、お酒に関しては皆さんいろいろ好みも幅広いですから自分流の楽しみ方を作り上げていくのもなかなか楽しいですよ。

いろいろゴタクを並べたところで、私の場合は、酔っぱらってしまえば何飲んでも一緒ですけどね。

だから、私は最初の3杯ぐらいは行ったお店のお高めのを飲むようにしています。

そんな感じだから、後は何飲んでも一緒。

保存方法

私は、日本酒を買うときは720mlを好んで買います。

いろいろな種類の日本酒を、出来るだけたくさん楽しみたいと思ているからです。

それに、このサイズなら調子よければ飲みきれますしね。

最近は、歳のせいもあるのでしょうか?

お酒も、程ほどぐらいしか飲めなくなりました。

身体には良いかもしれませんね。

そこで、保存です。

私の場合は、二日、三日位ならそのまま常温で放置しています。一日目からの味の移り変わりが結構感じられて、結構気に入っています。

それでも、放置しておくのも私の中では三日が限度ですね。

ほとんどは、三日もあれば飲み切ることができるのですが、まれに飲み切れないと

うわっ!まずっ!

と思うことがあります。

ですので、私のおすすめは三日ぐらいで飲み切る。

その三日間は、常温で放置。

 これは、私流なので、きちんとした方法をまとめてみました。

きちんとした保存方法

日本酒を保存する場合のポイントは、光(特に紫外線)温度です。
光があたらず、低温で、温度変化のないことが大切です。お酒の製造方法によっても変わってきますが、このようにして貯蔵することにより熟成が進み、独特の味わいが付加されることも期待できます。

光について
お酒を無色のガラス瓶に移し変えて直射日光に当てると、数時間で、目ではっきりとわかるほどの色の変化が現れます。時には、日光臭と呼ばれる異臭も発生します。直射日光は強烈ですが、室内の明るさや蛍光灯などの光でも、徐々に変化が生じてきます。
このように日本酒は光に弱いため、暗所貯蔵が必要になります。


温度について
光のまったくあたらないところに日本酒を置いても、時間が経過するにつれて色が着いてきます。さらに、老ね香(ひねか)と呼ばれる独特のにおいがつき、くどい雑味のある味に変わってきます。
この変化の仕方は、基本的に、保存温度が高いほど進行が早くなります。このため長期に保存する場合には、低温で、温度変化がない状態で保存する必要があります。
お酒の種類・製造方法によっても多少違ってきますが、5~6度くらいで2・3年の保存は可能であり、さらに熟成の効果も期待できます。また、15度前後(温度は一定)でも1年くらいの保存は可能でしょう。
ただし、以上のことは「火入れ」の済んだお酒のことでありまして、「生酒」「生貯蔵酒」など2度の火入れを行っていないお酒については、冷蔵貯蔵(5・6度以下)が必要です。


ご家庭での保存法
ご家庭でお酒を保存する場合には、お酒を化粧箱に入れたままにするか、新聞紙などで包んで光があたらないようにして、できるだけ涼しく、温度変化がないところに置いてください。
理想的には冷蔵貯蔵が望ましいのですが、家庭用冷蔵庫は容量が小さく、大きな瓶は入りません。また、何本も入れることもできません。
日本酒(火入れ済み)は、常温に置いたからといって、たちまち劣化するというほど弱いものでは有りません。家の中で最も涼しく、温度の安定しているところに置くようにして、できるだけ早く召し上がっていただく方がよろしいかと思います。
ただし、「生」のお酒は冷蔵貯蔵が必要です。冷蔵庫に入る大きさの瓶のものをお買い求めいただくか、小さい瓶に小分けして冷蔵してください。
また、家庭用冷蔵庫で保存する場合の注意点ですが、扉の開け閉めが頻繁だと庫内の温度変化が大きくなります。この温度の変化は、お酒を劣化させる原因となりますので、ご注意ください。

引用:日本酒豆知識・日本酒の保存法 <新潟の地酒 ふくきん本店>

 

 

公園

今日の一句

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つむじ風 枯葉のパーティー にぎやかに

ブランコ揺れる 秋の公園

秋の乾いて冷たい風が、誰もいない朝の公園を通り抜けていった。

集められた、桜紅葉が舞い上がり つむじとなって

行ったり来たりしている。

少子化のせいなのか、草刈りもされず伸びきった雑草にも秋は訪れて薄茶色に、なっている。

草花にも、人のような心があるとすれば。

喜んでいるかもしれないな

人に刈られる事もなく、無事に一年すごせそうなのだから。

哀しんでいるのかもしれないな?

忘れ去られてしまったことに。

どちらにしても、元気出してみましょうよ❗

今年も、もうすぐ寒い冬が来るのだから。

酒器

いやー! お酒のおいしい季節になってまいりましたね。

稲の借り入れも終わり、今年とれた新米で絞る、しぼりたて 生原酒!!

にごり酒も良いですよね。 まちどおしいですね!

秋から、冬にかけては日本酒もなのです。

しぼりたて生原酒なんかは酒蔵さんの個性があってそれぞれ味も違うし、それぞれに旨い!

リカーショップに並んだ、新種を見ているだけでウキウキしてきます。

そこで今回は、おいしいお酒を飲むんだから酒器にもこだわってみたい!

と思い調べてみました。

陶器やガラス、スズでできているものなど様々で、形もいろいろどれも個性がありお気に入りを探し当てる楽しみ倍増です!

私の、おすすめはスズで作られた酒器ですね。

使い込むほどに味が出る。タイプのお酒を飲むための道具ですね。

なんといっても、割れない。酔っぱらいの使う道具としては、とても大事なことです! 

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素敵じゃないですか!

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ほしい!

日本の錫器の歴史

錫器が日本に伝わったのは今から約1300年前といわれ、奈良正倉院宝物に錫製薬壷・水瓶などが数点保存されています。金、銀に並ぶ貴重品であったは宮中でのうつわや有力神社の神酒徳利、榊立などの神仏具としてごく一部の特権階級のみ使用されてきました。

『人倫訓蒙図彙』(1690年出版された風俗事典的絵本)では「錫師は錫鉛を以て徳利鉢茶壺を造る、」と記され、江戸初期に京都を中心に製作されていた事が確認されています。

その後広く一般にも普及していくと酒器や茶器の形も美しさを保ちながら使い易さを重視した現在の形に落ち着いてゆきました。

御神酒徳利

大阪浪華錫器の歴史

大阪における錫器造りの起源は、延宝7年(1679年 『難波雀』に「錫引き、堺い筋」とその記録があり、江戸中期には、心斎橋・天神橋・天王寺など流通の良い上方(大阪)で生産され、やがて産地から産業へと拡大されました。

錫屋の老舗〝錫半〟(1996年閉店)が正徳4年(1714年)に心斎橋で開業。その後多くの大阪の錫器製造業者が集合し、特産品としての地位を確立しました。

最盛期の昭和前半には大阪全体で300名を超える職人が競うようにその腕を振るったといわれています。

第2次大戦の勃発とともに、職人の招集が相次いだり、戦時統制により材料の入手が困難になるなど大きな打撃をうけました。

それでも、昭和58年(1983年)3月、錫器の伝統性・技術・技法等について審議の結果、当時の通産大臣(現 経済産業大臣)より伝統的工芸品『大阪浪華錫器』として指定・承認されました。

日々の研鑚を忘れることなく先人たちの優れた技術や知恵を受け継ぐ品を作り続けています。

引用:大阪錫器| 大阪浪華錫器による酒器、茶器、食器、花瓶の製造販売

私が、スズの酒器を長く使っている理由

  1. 高級感がある。 私の使っている酒器は安いものですがそれでも使っていて感じる重みや手触りが気に入っています。(大阪の道具や筋でお猪口と徳利を一つずつ誕生日に買ってもらえました!)
  2. 割れない。   もちろん金属で出来ているので酔っぱらって落としても割れません。酒飲みには最適!
  3. 錆びない。   錆びないんです!凄いですよね!金属なのに水の中でも空気に触れても錆びません。
  4. 安全です。   たまにですが、スズでお酒なんて飲んだら身体に悪いでしょ。と思っている人もいるみたいですがそんなことはありません。
  5. 殺菌効果と鮮度の保持。 これは、後から聞いた話ですが、素晴らしいイオン効果があるらしく、昔からスズの器に水をいてて置いといても腐らないとかお酒の雑味が抜けて旨くなるとか言われています。 真偽の程は是非ご自分で!それにスズで造られた花瓶にを生けるとガラスの花瓶よりも長持ちするらしいです。
  6. 口当たりがまろやかになる。 私もそんな気がします。真偽の程はご自分でお試しあれ!

気に入っているところは、こんな感じです。

調べれば調べるほど、錫(スズ)の魅力に取りつかれてしまいます。

能作 錫器 ぐい呑 501270

能作 錫器 ぐい呑 501270

 
大阪浪華錫器 錫製タンブラー シルキースタンダード

大阪浪華錫器 錫製タンブラー シルキースタンダード

 
能作 酒器セット ぐい呑み錫・金箔2個 片口大錫

能作 酒器セット ぐい呑み錫・金箔2個 片口大錫

 

 どうせ、たまの贅沢するなら少しぐらいこだわってみたいと思いませんか?

ほかにも、いろいろきれいな物や形にこだわった物などたくさんの商品があります。

じっくり見て選ぶのもなかなか楽しいですよ!

このにごり酒は、私の大好物です!

 

 

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日本酒

とりあえず一句f:id:yoshi2000000:20180927092134j:plain 

二日酔い

胃薬飲んで

迎え酒

いやー! 飲んだ飲んだ、飲まれて 呑んだ。。。。

たまにはいいか。

日本酒はうまい!お酒は日本酒!

こんな名前の日本酒があったら飲みたくなりますよねー

注文するとき、ちょっとややこしいかも。。。

ということで、今回は日本酒に注目してみました。 

 

清酒の製法品質表示基準

特定名称 使用原料 精米歩合 麹米使用歩合 その他要件
吟醸酒 米・米麹
醸造アルコ-ル
60%以下 15%以上 吟醸造りをしたもので、固有の
香味及び色沢が良好なもの。
純米酒 米・米麹 ------ 15%以上 香味及び色沢が良好なもの。
本醸造酒 米・米麹
醸造アルコ-ル
70%以下 15%以上 香味及び色沢が良好なもの。
大吟醸酒 米・米麹
醸造アルコ-ル
50%以下 15%以上 吟醸造りをしたもので、固有の
香味及び色沢が良好なもの。
純米吟醸酒 米・米麹 60%以下 15%以上 吟醸造りをしたもので、固有の
香味及び色沢が良好なもの。
純米大吟醸酒 米・米麹 50%以下 15%以上 吟醸造りをしたもので、固有の
香味及び色沢が良好なもの。
特別純米酒 米・米麹 60%以下又は
特別な製造方法
(要説明表示)
15%以上 香味及び色沢が良好なもの。
特別本醸造酒 米・米麹
醸造アルコ-ル
60%以下又は
特別な製造方法
(要説明表示)
15%以上 香味及び色沢が良好なもの。

引用:「清酒の製法品質表示基準」の概要|国税庁

 最近は、日本酒の飲み比べ をよく目にしますね、

私も、お店に行って飲み比べセットがあれば、ついつい注文してしまいます。

お店などで出されている、飲み比べセットは大体が蔵元を比べて味わうようなセットになっていることが多いです。

そのお店のおすすめ地酒!みたいな感じの3種類ですね。近所の居酒屋などはこんな感じが多かったですね。

そんな中でも、日本酒に力を入れて売りにしているような居酒屋ですと、蔵元を飲み比べするセットもありつつ、その蔵元の 純米酒 純米吟醸 純米大吟醸 特別純米があれば特別純米純米酒を入れ替えて3種で飲み比べさせてくれるところもありますね。

酒蔵見学に行くと、このパターンで飲み比べをしますしね。

当然ですよね、ほかの蔵のお酒は置いてないですから。

僕の好きな飲み比べセットは、酒蔵見学でいただけるような、セットが好きです。

このセットで、居酒屋で5蔵分ぐらいの飲み比べができたら最高なのに!

と常に思っています。

そんなに飲んだら、最後のほうは何を飲んでも一緒ですな。。

好きですけど、決して強いほうではないので。。。

私のお酒を選ぶときの基準

私が心がけているのは、日本酒を飲むときは純米酒である。ということにこだわって飲んでいます。

その中でも純米吟醸でを飲むようにしています。醸造アルコールを足さないお酒が好きなんですね。

純米酒は、少しお高めになりますがそれだけのおいしさがありますし、そんなに頻繁に飲んでる訳ではないので、呑もうと思った時ぐらいチョット贅沢させてもらっています。

純米大吟醸なんて、高級なお酒はお正月と決めていますしね。

純米吟醸でも、これ大吟醸なんじゃないの? みたいな美味しいのもあれば、

これ純米吟醸?   みたいな残念なものもあります。

お酒は、色々好みがありますので銘柄を決めずに飲むランクを決めて自分好みのお酒を探すのもなかなか楽しいですよ。

最後に、

よく辛口のお酒が好と言っているのを聞きますが、私個人としての意見ですが日本酒に辛口はないと思ています。 

そもそも、お米が甘い ですしね。

洋酒のような辛い感じのお酒が好きな人はなかなか、日本酒は好まないみたいですね。

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知識ゼロからの日本酒入門

知識ゼロからの日本酒入門

 

 

 

秋の夜長

今日の一句

 

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一杯の 和酒に一時 秋の夜

時の早さに 思い深まる

仕事も終わり、たまには一人で ちょっとお高めの日本酒で月の明かりで一杯!

ちょっと いい時間です。

こんな時間は、決まって1年は早いなもう秋か とか 今年は何ができたかな? とか

考えてしまいます。

結局、何も出来ていないことのほうが多いのが現実ですが。。

そうは思っていながらも、時間は過ぎていきます。

この時期の、静かな晩酌は時間を少しゆっくり流してくれて、とても心地よく大切な時間になりますね。

 短歌の歴史

近代以前

短歌は上で触れたように近代以前は和歌と呼ばれることが多く、その和歌を詠む上で手本とされたのは『古今和歌集』をはじめとする勅撰和歌集に採られた和歌であった。『万葉集』に関しては全く取り上げないということではなかったが、歌人のあいだでは勅撰和歌集が重要視された。近世後期になると京都で和歌革新の動きが起こり、香川景樹らの桂園派が登場した。桂園派は明治時代初期まで歌壇に重きをなしたが、これも『古今和歌集』の歌風の流れを汲む一派であった。上代から明治以前の和歌の歴史については、和歌の歴史の項参照。

明治・大正

明治時代初期の歌壇は前代に引き続き、桂園派を主とする御歌所派が中心となって貴族的・伝統的な文化人たちが担っていたが、和歌改良を志す人々はその題詠による作歌・風雅な趣向を批判し、自由と個性を求める近代短歌を開いた。落合直文浅香社を結成し、主観を重視する浪漫的な短歌を目指し、与謝野鉄幹らを輩出した。明治33年(1900年)、鉄幹は『明星』を創刊し、与謝野晶子を擁して浪漫主義短歌の全盛時代を築いた。明治40年代には『明星』から出た耽美派北原白秋自然主義的な若山牧水社会主義的傾向を示した石川啄木らの個性が開花した。

一方、正岡子規明治31年1898年)に『歌よみに与ふる書』を発表。万葉への回帰と写生による短歌を提唱して根岸短歌会を起こし、伊藤左千夫長塚節らを育てた。根岸短歌会の機関紙として明治41年1908年)に創刊された『アララギ』からは、独自の歌風を確立してアララギ派を主導した島木赤彦や、自我を見つめて生命感ほとばしる歌を詠んだ斎藤茂吉が出た。『アララギ』は赤彦が編集を担当した大正期に歌壇主流と言っていい発展を遂げるが、よりストイックな歌風を特色とするその美学と結社的束縛は一部で反発を招き、大正13年(1924年)に古泉千樫釈迢空石原純が新雑誌『日光』の創刊に参加して『アララギ』を離脱するなど、『アララギ』の分裂を生み出す。茂吉は「写生」に「生を写す」と言う解釈をほどこし、大正15年(1926年)島木赤彦の没後は『アララギ』の編集を担い、中心人物として昭和初期にかけて活躍する。

昭和

昭和短歌の前奏曲として、大正12年1923年)、歌誌『日光』が、『アララギ』を脱退した古泉千樫釈迢空石原純や、北原白秋前田夕暮吉植庄亮らによって創刊された。短歌結社ではなくゆるやかなサロン的結合による雑誌であったが、おのずから反アララギ的色彩を帯び、アララギ系―反アララギ系という座標軸はここから始まったといってよい。リアリズムに近い立場に立ちながら、窪田空穂松村英一らは、『アララギ』には批判的であり、英一やその門人である山本友一土屋文明系の渋谷嘉次と論争を行い、文明に代表される『アララギ』の作風のぎこちなさを批判する。

明治から試みられていた口語自由律や、石川啄木にまでさかのぼれるプロレタリア短歌の運動が起こったのも昭和に入ってからである。前者は前田夕暮の「詩歌」を中心に一大勢力となり、後者はプロレタリア文学の一環としての存在を主張するようになる。

口語派は夕暮の一門あげての定型復帰により、香川進前田透といった歌人が文語定型を排除しない方向に転じたことで、力を減じていった。

プロレタリア派は、当初、文学理論が先行し、短歌を短詩に解消するべきだという意見が有力になったり、あるいは三十一音を大幅にはみ出す作品が出たりして、国家による弾圧以前にも問題を抱えていた。

昭和3年1928年)、新興歌人連盟が発足。口語派、シュールレアリスム派、プロレタリア派、生活派が連合して歌壇の革新に努める。前川佐美雄坪野哲久筏井嘉一らにより、後に新風十人でその美学を示した。昭和10年1935年)、北原白秋が『多磨』を創刊。宮柊二(『コスモス』)、木俣修(『形成』)といった戦後結社につながる歌人がここから輩出する。

歌壇の一大勢力に成長した『アララギ』では、斎藤茂吉の指導を受けた佐藤佐太郎(『歩道』創刊)・山口茂吉土屋文明の指導を受けた五味保義近藤芳美(『未來』創刊)、高安国世(『』創刊)、相澤正樋口賢治落合京太郎吉田正俊柴生田稔らが育つ。

戦後

日本の敗戦から、桑原武夫『第二芸術論』など短歌否定論が大反響を呼んだが、短歌否定論に対抗し、戦後歌壇を樹立する目的の下に、昭和22年(1947年新歌人集団という運動体が結成された。近藤芳美宮柊二などは戦後歌壇の大きな存在となるとともに、現代短歌の基盤を作って 昭和23年(1948年)には、日本歌人クラブが、斎藤茂吉土屋文明釈迢空尾上柴舟佐佐木信綱窪田空穂土岐善麿前田夕暮を始めとする183名の発起人、太田靑丘渡辺順三・近藤芳美・佐藤佐太郎木俣修宮柊二香川進ら当時の中堅歌人らによって結成され、歌壇最大の超結社団体として、現在に至るまで活発な活動を続けている。

昭和24年(1949年)には中井英夫が『短歌研究』を創刊し、葛原妙子中城ふみ子塚本邦雄寺山修司ら多くの新人を見い出した。

昭和31年(1956年)には歌人の職能的性格を持つ団体として「現代歌人協会」が、生方たつゑ扇畑忠雄・尾上柴舟・香川進・鹿児島寿蔵・木俣修・窪田空穂・近藤芳美・佐佐木信綱・佐藤佐太郎・柴生田稔土屋文明坪野哲久土岐善麿松村英一會津八一宮柊二山口茂吉山本友一など62名の発起人により結成された。

昭和30年代になると前衛短歌運動が起こった。現代短歌は前衛短歌から始まったとも言われる。前衛短歌運動は、塚本邦雄の衝撃的な表現から始まり、「短歌研究」編集長中井英夫の賛同を得、岡井隆寺山修司といった同志を獲得し、歌壇全体に影響を及ぼした。前衛短歌は、比喩の導入、句またがり、記号の利用といった技法上の特徴が数多くあるが、作品の主人公と作者が異なる、虚構を詠っている点が最大の特徴である。この表現方法は明治期の西洋化で失われたが、古典ではよく見られた形式であるため、短歌のルネッサンスと言われる。

昭和30年代半ばには、前衛短歌は社会的影響力を持ち始めたため敬遠する出版会の動きがあったことと、方法意識が出尽くしたことから停滞した。そこで登場したのが安保闘争に参加した若者、西の清原日出夫、東の岸上大作であった。

安保闘争後、前衛短歌が行き詰まりを見せ、新たな表現方法への移行も出来なかったこともあり、短歌は目標や思想を喪失していった。歌壇は孤立化し、内部(歌人)と外部(新聞短歌・セミナー短歌)の棲み分けが始まった。そのような中、三島由紀夫に定家の再来と言われてデビューした春日井建が、時代性や社会性の意識は見られない絶対なる美的表現を追求した。

昭和40年代初め、前衛短歌の停滞後初めて本格的に近代短歌に向き合う動きが出てきた。自然派前登志夫、古典派の馬場あき子山中智恵子などである。他にも、自らの表現形式を持って短歌を作る歌人が活躍し始めた。「男歌」の佐佐木幸綱、「ただごと歌」の奥村晃作、実験的な歌風の高瀬一誌、戦後の青年像を示した夭折歌人小野茂樹などである。昭和50年代には、村木道彦小池光阿木津英など、風俗・実生活を繊細に描写する歌人が現れた。

昭和60年代には、都市文化を基調としたヴィジュアルな表現が登場する。坂井修一や、新古典派と呼ばれる紀野恵水原紫苑などが平成のニューウェーブの先駆けとなる。俵万智サラダ記念日』(1987年)がミリオンセラーを記録、短歌はそれまでの硬いイメージから解放され、広告コピーの言語のように読まれるようになった。

また、松宮静雄(『ウルの墓』1980年)のSF短歌、井辻朱美(『地球追放』1982年)の[[ファン

平成

平成に入って最大の衝撃は、正岡子規以来の写生を受け継ぐ『アララギ』の終刊(平成9年(1997年)12月)とアララギ派の分裂であろう。時を同じくして加藤治郎荻原裕幸穂村弘ニューウェーブと呼ばれる歌人が登場した。『サラダ記念日』(俵万智)で決定的に大衆化した短歌の状況に困惑する旧来の歌人をよそに、イメージと感性で歌い上げる彼らの表現は斬新だった。それまでの短歌は個人的内容であっても、普遍性や生への問いかけがあった。しかし、バブル経済の表層的文化で育った口語性と都会性、脱私性により、前衛短歌以来の近代短歌からの脱出が図られたのである。

現在はインターネットの普及も影響して、枡野浩一など歌壇に全く属さない歌人も登場している。

昭和末期から東洋大学現代学生百人一首という短歌を使用したコンテストが開催されている。現在では全国各地の学校がこのイベントへ参加しており、短歌を通じた教育ならびに現代の学生が短歌を詠むことで現代人の感性を知ろうというひとつの試みとなっている。

また、フィクションをテーマにした短歌も若者に流行し、BL短歌[1]などがある。男性同士の恋愛関係を詠むBL短歌の作中主体は「作者本人」ではないため、実践者には「憑依短歌」と呼ぶ人もいる[2]Twitterではハッシュタグを利用した短歌の発表も行われている。2012年には、短歌de胸キュンという、NHK短歌番組の月に1回の放送が、お笑い芸人と歌人による評価という、短歌の大衆化を狙った企画が始まった。2012年-2013年,2015年が佐伯裕子、2014年が梅内美華子、2016年が栗木京子という女性の抜擢で人気を博している。2015年には、超能力を持つ家族の日常を詠んだ笹公人念力家族』(2003年)がNHK Eテレ天てれドラマ枠でテレビドラマ化された[3]。2016年には、スマートフォン向けソーシャルゲームグランブルーファンタジー」で、同作を題材にTwitterで短歌(グラブル短歌)を募集するキャンペーンが行われた[4]

引用:短歌 - Wikipedia

 

 

 

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