今日の一句
久々に 食べるとうまい チョコレート
と言うことで今回はチョコレートと言うことでまとめていきたいと思います。
チョコレート皆さんは、すきですか?
たまに食べるととてもおいしいです。
あればあっただけ食べてしまいますね。
チョコレートの原料と言えばカカオ豆です。
ココアもカカオ豆が原料のようでとても健康に良いと言われているようです。
最近は、甘くないカカオばっかりのチョコレートなんかも売っています。
私は、チョコレートと言えばやっぱり甘いほうが好きです。
チョコレートの歴史
600 - カカオ豆が通貨のように扱われた頃 紀元前1000年頃にはメキシコの原住民はカカオ豆をすりつぶして食べていたとされています。
マヤおよびアステカ文明の時代、カカオ豆は究極のステイタスシンボルとみなされていました。
カカオ豆は通貨のように扱われ、カカオ豆を豊富に持つ金持ちは、それを使って「知恵とパワー」を与えるとされるチョコレートドリンクを作りました。
1502 - 木になるお金
コロンブス、初めてチョコレートに出会う
コロンブスは、カカオ豆とチョコレートを発見した最初のヨーロッパ人です。
征服者たちはカカオを「木になるお金」としてその価値を認識するようになります。
スペインの歴史家ヴァルデスは、100粒のカカオ豆で一人の奴隷を買うことができたと書簡に記しています。
1519 - 恋の媚薬
チョコレート コルテスは、当時最も多くのカカオ豆を所有していたアステカ帝国の皇帝モンテスマが「チョコレート狂い」であるということに気づきました。
記録によるとモンテスマは、この飲み物が恋の媚薬であると信じ、とりわけハーレムに入る前はチョコレートを調合したものを飲んだといわれています。
1528 - 甘みを加えること
コルテスはカカオ豆とチョコレートを作る道具を持ってスペインに帰りました。
アステカ独特のトウガラシを効かせた味付けが美味しくないため、コショウを砂糖に代えてすぐにレシピを作り変えました。
1606 -漏れ出したカカオ豆の秘密
スペインは1世紀以上もチョコレートの発見をなんとか秘密にしようとしました。
その間に、スペイン人は赤道直下の植民地にココア農園をつくり、その新しい飲み物を広めました。
ところが、とうとうイタリア商人アントニオ・カルレッティがこの秘密の製法をイタリアに伝えました。
1657 - エリートが集まるチョコレートハウス
ロンドンに出現 ロンドンに英国初のチョコレートハウスがオープンしました。
それは上流階級の間で評判となり、たちまちエリートたちの会合の場所となりました。
カカオ豆の価格は法外で、スペインの歴史家ヴァルデスは、このような場所に足繁く通えるのは「金持ちや貴族だけ」であると記しています。
やがて価格も下がり、英国の至る所にチョコレートハウスができ、コーヒーやティールーム、パブに挑む勢いとなりました。
1671 - 偶然の産物~ プラリネの誕生 プラスリンという公爵のお抱え料理人が、熱くなった砂糖が鍋から溢れ出てボウルに入っていたアーモンドにかかったのをみつけました。
味見をして公爵は大変喜び、嬉しさのあまりこの新しいお菓子に自分の名をつけました。
「プラリネ」の誕生です。それがベルギーのチョコレート職人の手により手を加えられ、「プラリネ」は、モールドで型どったシェルにクリーム・キャラメル・ガナッシュ・プラリネなどを詰めたベルギーのお菓子と同義になりました。
1674 - 最初の食べるチョコレート
ヨーロッパの至る所でまだチョコレートを飲んでいた頃、好奇心旺盛な英国のパン屋たちがケーキのレシピにココアを加えたことから、はじめてチョコレートが固形のものになりました。
それから数十年以内に、固形のチョコレートはバータイプも含めてヨーロッパの至る所で様々なかたちで広まり、スタイリッシュな飲み物からすばらしい甘いお菓子へと変貌をとげたのです。
1815 - オランダ人の功績
パウダーチョコレート
オランダ人の化学者ヴァン・ホーテン氏は試行錯誤の結果1828年 に脂肪分の低い新しいパウダーチョコレートを作りました。
現在のココアです。
1. ココアの発明(1828年)
それまでの飲みにくかったチョコレートを飲みやすくするため、彼はカカオ液(カカオマス)からココアバターを抽出する油圧式の圧搾機を開発しました。
これによりカカオ豆に50%以上含まれていたココアバターを28%程度までに減らすことができるようになりました。
さらに、カカオマスは砕いて粉末状にすることで、お湯に溶けやすいココアパウダーになり、飲み物として売りやすくなりました。
副産物のココアバター
搾油の過程で副産物としてココアバターが抽出されました。
ココアバターはチョコレートに欠かせない原料であり、のちに食べる(固形)チョコレート開発のきっかけとなりました。
ココアパウダーのアルカリ処理
彼はカカオ豆をアルカリ液で処理する方法を考案し、チョコレートがミルクや水に混ざりやすくなり、風味はまろやかに、ココアパウダーの色調はブラウンになりました。
需要の拡大は食べるチョコレートが開発されてココアバターの用途が拡がってからになります。
2. 食べる(固形)チョコレートの発明
ジョセフ・フライ(イギリス) 1847年、イギリス人ジョセフ・フライが現在のチョコレートの原型となる固形チョコレートを発明しました。
ジョセフ・フライの曽祖父はフライ&サンズチョコレート製造会社を創業し、またその息子でフライの祖父はジェームズ・ワットの蒸気機関を導入してカカオ豆の磨砕工程を機械化しました。
そして、その後を継いだのが、ジョセフ・フライです。
当時のチョコレートは、ココアパウダーと砂糖をお湯に溶かした飲料でしたが、ジョセフ・フライはお湯の代わりに、ココアパウダーと砂糖にココアバターを加えてみました。
すると冷やすと常温では固体になり、口の中では体温で溶けるという固形のチョコレートができました。
また、型に流し込んでいろいろな形のチョコレートができるようになり、1847年に食べる(固形)チョコレートを発売しました。
3. ミルクチョコレートの開発
ダニエル・ピーター(スイス) 1875年、スイス人のダニエル・ピーター(Daniel Peter)がミルクチョコレートを生み出しました。
彼は、スイスに初めてのチョコレート工場を作り、チョコレートバーを発明したフランソワ・ルイ・カイエ(Francois-Louis Cailler)の娘と結婚しています。
チョコレートは油分が多く、水とは混ざりにくく、ミルクを添加すると粘土のようなボソボソしたものになります。
そこでミルクの水分を取り除く必要がありました。当時住んでいたベベイ村には有名なネスレ社を創業したアンリ・ネスレ(Henri Nestle)が住んでおり、育児用粉乳を発明していました。
そこでネスレ社と協同開発のミルクを使用したミルクチョコレートが誕生したのです。
4. コンチェの発明
ルドルフ・リンツ(スイス) カカオマスに砂糖や粉乳等を混ぜて細かくすりつぶすと粉末状になります。
この粉末状のチョコレートを強力に攪拌しながら練っていくと、内部の空気が抜けて徐々に液状化してきます。
この工程がコンチング(精錬)で、これに使用する機械をコンチェといい、チョコレートの製造工程には欠かせない設備です。 コンチェを発明したのはスイスのルドルフ・リンツ(Rodolphe Lindt)です。
リンツは菓子職人のもとで修行を終えたのち、工場とロースト機を買ってチョコレートの試作を行っていました。
薬剤師の父の後を継いだ兄のところで試作品を分析してもらうなどして、いろいろな示唆を受けていました。
彼は、カカオニブ(カカオ豆の皮をとって細かくした実の部分)を使って、メランジャー(攪拌機)タイプのロールの動く装置でチョコレートを作ったところ、非常に粗いものとなり表面に油分が出てしまいました。
そこで兄の示唆により72時間連続稼働させたところ、チョコレートが滑らかになっただけではなく、大変美味なチョコレートができました。
また、スイッチの切り忘れで72時間連続稼働した結果という説もあります。
リンツが連休の前日に水力で動いていた機械を止めずに帰ってしまったところ、連休明けに機械を覗いたらチョコレートが様変わりしていて、トロリとして口溶けが良く、マイルドになっていたということです。
いずれにしろ彼はこの機械を改良・発展させ、これをコンチェ(CONCHE)と名付けました。
なんか、カカオ豆ってすごいですね。
始めは、チョコレートは飲み物だったようです。
www.youtube.comチョコレートの効果・効能
チョコレートに含まれている成分
- テオブロミン
- ミネラル
- ポリフェノール
チョコレートの原料となるカカオの特徴的な成分は「テオブロミン」。
カカオ豆の学名:Theobroma(テオブロマ)に由来しており、利尿作用、脂肪分解作用などが報告されています。
またマグネシウム、カルシウム、鉄、亜鉛などのミネラル類や、食物繊維、フラボノイドも含まれています。
ポリフェノール量の比較 (mg)
- ダークチョコレート 840
- リンゴ 220
- 赤ワイン 180
- 紅茶 100
抗酸化物質(ポリフェノール)を圧倒的に多く含んでおり、ダークチョコレートの場合、ポリフェノールが豊富といわれる赤ワインの数倍も含有しています。
カカオに含まれるポリフェノールの効果
脳の活性化
一日中休むことなく働いている脳の活動を支えているのは、脳由来神経栄養因子/BDNF(Brain-derived neurotrophic factor)と呼ばれる物質です。
BDNFはタンパク質の一種で、神経細胞の発生や成長、維持、再生を促進する役割があり、高度な思考と密接に関わっていると考えられています。
脳の中でも学習や記憶に関わる部分に含まれ、神経細胞の動きを活発にさせていると言われています。
カカオポリフェノールを摂ることでBDNFが上昇し、認知機能に役立つと考えられています。
血圧を下げる
カカオに含まれるポリフェノールは血圧を下げる効果が報告されています。
動脈硬化の予防
カカオポリフェノールにはLDLコレステロールの酸化を抑えて、心臓血管疾患のリスク低減に好影響を与えることが報告されています。
動脈硬化が起きる主な理由は、血管の壁にできるコブ(脂質プラーク)と考えられています。
このコブは、血管の壁が傷つき、LDLコレステロールが壁に入り込んで酸化が進むことで作られていきます。
LDLコレステロールの酸化を抑制するカカオのポリフェノールの作用は、動脈硬化の予防につながります。
抗ストレス
チョコレートに含まれるポリフェノールが、気分の改善に役立つと考えられています。
また、チョコレートをとることで、特に女性において自覚しているストレスが低減するという報告があります。
美容効果
肌は年齢とともに衰えます。
近年話題のアンチエイジングの分野において、「サビない肌」「サビないカラダ」というキーワードをよく目にします。
サビ=酸化という例えの表現で、若々しさの鍵となるのは体を酸化させないこと、つまり抗酸化力にある、という表現です。
カカオの含有量の多い甘くないチョコレートがとても健康にいいと言うことのようです。
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でも私は、チョコレートはふつーの甘いチョコレートが好きです。
バレンタインデー
チョコレートと言えば、バレンタインですね。
そこで、バレンタインの起源も調べてみました。
ローマ帝国発祥説
バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼるとされる。
ローマでは、2月14日は女神・ユーノーの祝日だった。
ユーノーはすべての神々の女王であり、家庭と結婚の神でもある。
翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日であった。
当時、若い男たちと娘たちは生活が別だった。
祭りの前日、娘たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れることになっていた。
翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。
ひいた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。
そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。
ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、兵士たちの婚姻を禁止したと言われている。
は、婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、彼らのために内緒で結婚式を行っていたが、やがてその噂が皇帝の耳に入り、怒った皇帝は二度とそのような行為をしないようウァレンティヌスに命令した。
しかし、ウァレンティヌスは毅然として皇帝の命令に屈しなかったため、最終的に彼は処刑されたとされる。
彼の処刑の日は、ユーノーの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。
ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたという。
このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論である。
と言うことでした。
日本のバレンタイン
バレンタインの日にチョコレートを女性から男性に送るのはどうも日本だけの習慣のようです。
日本では、1958年ころから流行した。
ただし、その内容は日本独自の発展を遂げたものとなっている。
戦前に来日した外国人によって一部行われ、第二次世界大戦後まもなく、流通業界や製菓業界によって販売促進のために普及が試みられたが、日本社会に定着したのは、1970年代後半であった。
「女性が男性に対して、親愛の情を込めてチョコレートを贈与する」という「日本型バレンタインデー」の様式が成立したのもこのころであった。
なお、バレンタインデーにチョコレートを渡すのがいいのではと最初に考案して実践したのは、一説に大田区の製菓会社メリーチョコレートカムパニーの原邦生であるとされる。
しかし、原邦生が行ったとされるイベントは昭和33年であるのに対し、神戸のモロゾフ製菓が20年以上前の昭和11年2月12日に外国人向け英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー』に、「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告を既に掲載しており、モロゾフ製菓がバレンタインチョコを最初に考案した仕掛け人であるとされる説が最有力である。
そして日本チョコレート・ココア協会によると、1992年に聖バレンタイン殉教の地イタリア・テルニ市から神戸市に愛の像が送られており、その理由は、神戸が日本のバレンタインデー発祥の地と分かったからとの事である。
最後まで読んでいただきありがとうございました。